岩崎鬼剣舞解説

岩崎鬼剣舞とは

岩崎鬼剣舞

岩崎鬼剣舞(国指定重要無形民俗文化財)は、岩手県北上市の岩崎、という農村地域に古くから伝わる民俗芸能である。発祥から1300年の歴史を持つと言われるこの芸能はもとは念仏を唱えながら踊る「念仏剣舞」であるが、異形の面をつけて勇壮に踊ることから「鬼剣舞」とよばれている。鬼剣舞には、地面を踏みつけて悪霊を払い、鎮魂を行なう呪術的な要素と、念仏を唱え衆生を救う、という信仰の要素がある。

北上市には各集落に、合わせて13の鬼剣舞の団体がある。岩崎鬼剣舞はその元祖と言われている。

「庭元」といわれる、家元にあたる存在がトップにいて、「連中」といわれる現役の踊り手、現役から退き、後進の指導にあたる「師匠」、そして「おかど」といわれる演奏パートで組織が構成される。おかどは笛、太鼓、手平鉦で構成され、若い頃から演奏一筋の人もいれば、踊り手の「連中」を引退してから、演奏パートに回る人もいる。

踊りは基本的に踊り手8人一組で構成される。踊りや状況によって、4人や6人で、あるいは多数で踊ることもある。演目によっては1人で踊るもの、2人で踊るもの、余興の踊りなどがある。踊りには念仏はあるものの、ストーリーや歌詞は無く、幾つかの基本動作の組み合わせで踊りが構成される。どちらかと言えば、具象的な演劇よりも、抽象的なダンスの方により近い。動きは激しく、特に地面を踏みしめる下半身を酷使するため、40を過ぎると現役で踊り続けるのが難しいといわれる。基本的に男の踊りである。


踊りの担い手たち

岩崎鬼剣舞保存会

庭元、師匠、連中、おかどによる岩崎鬼剣舞保存会が中心に活動している。連中の奥さんたちを中心に構成される「おなご剣舞」も活動している。また、岩崎では岩崎保育園の園児たちに鬼剣舞を教え、岩崎小学校では4年生になると皆、鬼剣舞を踊ることになっている。保育園や小学校で教えるようになったのは戦後しばらくしてからのことである。したがって、岩崎で育った全ての人間たちは多かれ少なかれ、鬼剣舞を体験している。さらに北上翔南高校の鬼剣舞部には岩崎鬼剣舞の師匠が長年教えに行っている。翔南高校の鬼剣舞部は各種芸能まつりや老人ホームの慰問公演等、年間を通して活発に活動している。

さらに、岩崎鬼剣舞の魅力に惹かれ、遠方から教えを乞いにくる人たちも多い。秋田の「蕨座」、佐渡の「鼓童」、札幌、京都等は長年教えを乞いに度々岩崎を訪れている。特に、佐渡、札幌、京都のメンバーには、岩崎鬼剣舞庭元から、「印可の証」が与えられ、「岩崎伝佐渡鬼剣舞」、「岩崎伝札幌鬼剣舞」、「岩崎伝京都鬼剣舞」、として、踊組を作ることが正式に認められ、各地で活動している。


岩崎鬼剣舞の人々の生活

岩崎鬼剣舞の人々

岩崎は農村地域なので、農業にたずさわっている人が多い。しかしその多くは兼業農家である。この地域は大工、職人が多い。皆、それぞれに仕事を持ちながら、田植えや稲刈り等、農繁期には土日を中心にまとまった休みを取り、農作業に専念する。しかし、そうした人は主に50、60代の人々で、今の若い現役の連中はほとんど勤め人である。建設会社、自動車修理、農協職員等。米価の値下がり等により農業も成り立ちにくくなり、彼らもおそらく親の農業を引き継ぐことは難しいだろう。しかし、中には、若い人でも農業公社に勤めたり、あらたに組合を立ち上げて、農業で生計を立てているものもいて、新たな形で農業が引き継がれていくかもしれない。農業のあり方については、現在の日本全体が持つ共通の課題である。


岩崎鬼剣舞の主な活動

岩崎鬼剣舞 盆供養

岩崎鬼剣舞の公演は年間に多い時には100を超える。主な公演としては地元や、各地の芸能まつりでの公演、温泉地での観光客に向けた公演、結婚式や企業パーティーでのアトラクション等がある。最も大きなイベントは夏の北上芸能まつり。鬼剣舞だけでなく、神楽や鹿踊等、岩手県中の郷土芸能が集まり、演目が披露される。全国から、多くの芸能ファンや観光客がこの祭に訪れる。また、節目節目に重要な儀式があり、その時は見せるための公演ではなく、自分たちの、祈りのために踊りを踊る。最も代表的なのは8/16に泉徳寺で行なわれる盆供養。踊りの前に供養塔の前で、おかどの演奏とともに念仏が唄われる。そして踊りの奉納、本堂での浄土宗の経文と念仏、踊りの披露等が行なわれる。